戦争と薬物の関係
戦争の歴史を振り返ると、多くの国で「兵士の士気を保つ」「疲労を軽減する」「恐怖心を和らげる」といった目的で薬物が利用されてきました。
日本も例外ではなく、第二次世界大戦中にはヒロポンや大麻が大きな役割を担っていたのです。
ヒロポンの登場と拡大
「ヒロポン(覚醒剤・メタンフェタミン)」は、1938年に大日本製薬(現・大日本住友製薬)が開発したものです。
その効能は「眠気を飛ばし、集中力を高める」こと。まさに戦時下の日本軍にとって理想的な薬でした。
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軍用としての利用
陸軍・海軍の兵士に配給され、夜通しの作戦や過酷な戦地での任務を遂行するために服用されました。
「疲れを知らない兵士」を作り出すため、ヒロポンは“戦う薬”として普及していきます。 -
戦後の民間流通
終戦後、余剰となったヒロポンは大量に市場へ流れ込み、学生や労働者に「勉強や仕事がはかどる薬」として広がりました。
しかし依存や健康被害が深刻化し、1951年には覚醒剤取締法によって規制されます。
大麻と日本軍
意外に知られていませんが、大麻も日本の戦争に関わっていました。
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大麻は「武器」を作る資源
日本は古来より麻を栽培しており、戦時中は軍需資材として利用されました。
特に大麻繊維は、軍服・ロープ・落下傘・帆布などに使われ、欠かせない資源だったのです。 -
精神作用目的ではなく、産業利用が中心
日本では戦時中、兵士が「チル目的」で大麻を吸っていた記録は乏しく、あくまで「産業用大麻(繊維用)」が中心でした。
ただし、東南アジア戦線など海外に派兵された兵士の中には、現地の大麻文化に触れることもあったとされています。
戦後の影響
戦争が終わると、ヒロポンは乱用が社会問題化し、大麻は「大麻取締法(1948年)」によって厳しく規制されました。
つまり日本では──
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ヒロポン=覚醒剤として危険視され禁止
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大麻=戦後は厳格に規制され、産業利用も縮小
このように戦争をきっかけに「薬物=悪」というイメージが強固に形成されていったのです。
まとめ
日本の戦争史において、ヒロポンと大麻は「兵士を支えるための道具」として利用されました。
ヒロポンは“覚醒剤”として兵士を動かし、大麻は“軍需資材”として戦争を支えたのです。
その後の規制と社会問題の経緯を考えると、薬物は常に「時代と状況に応じて意味を変える存在」だったと言えるでしょう。
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